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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)7064号 判決 1960年9月27日

原告 飯田善国

右訴訟代理人弁護士 橋元四郎平

同 原後山治

被告 株式会社どん底

右代表者代表取締役 矢野智

右訴訟代理人弁護士 安藤光義

主文

被告は原告に対し金五四万円及びこれに対する昭和三一年九月一四日から完済に至るまで年六分の金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は五分しその四を被告、その余を原告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り原告において金一五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

被告経営のバー「どん底」が昭和三〇年四月一四日焼失し、その頃同店内に原告制作の洋画が陳列されていたことは当事者間に争いがない。

被告は証拠保全手続における原告本人尋問につき、被告代理人に対する証拠調期日の呼出が違つていたため右証拠調に立会えなかつたから、右証拠調の結果は証拠にとり得ないと主張し、本件記録によれば、急速を要しない場合として右証拠保全手続期日が昭和三一年一〇月二二日午後二時と指定され被告訴訟代理人に対しても呼出がなされたが、該呼出状には同年二三日午後二時と記載されていたことが明らかであるから、右証拠保全手続による原告本人尋問の結果は被告において異議のある以上は証拠にとり得ないものといわざるを得ない。

而してこの理は、右の原告本人尋問調書写に滞欧中の原告本人が僅かばかりの加筆訂正した甲第七〇号証の四についても同様である。

而して、何れも真正に成立したものと認められる甲第四号証、第九号証、第一〇号証、第六号証、第一四号証、第十六号証、証人飯田まき子(第一、二回)、同伊原通夫の各証言を綜合すると、右火災当時、右店内には別紙目録1乃至4の洋画が陳列されていたことが認められるが、同目録5乃至8については当時同店内に存在していたことを認めるに足る証拠がない。

原告は右洋画について被告との間に賃貸借契約が成立していたと主張し、被告は右バーを原告に好意で無償提供し、洋画の陳列をさせていたものであつて、若干の研究費を贈与したことがあるが、これは絵の陳列の対価ではない旨主張するので考えてみるに、証人天辰美貴、同飯田まき子(第一回)の各証言及び被告代表者矢野智の尋問の結果を綜合すると、原告は昭和二九年訴外天辰美貴の紹介で被告代表者矢野智と会い、「原告はその制作にかかる洋画原則として六点を被告に提供し、被告の経営するバー『どん底』の店内に掲げ、被告はその代償として毎月三、〇〇〇円を原告に支払う、絵の選定は原告の任意とし、原則として一箇月に一度掛け替える」大凡以上の如き契約が成立し、爾後右約旨に基き原告は右バー内に絵を掛け、被告は毎月三、〇〇〇円の金員を原告に支払つて来たこと、本件火災当時は前記四点の洋画が右契約に基き右バー内に掛けられていたことが認められ、右認定を覆するに足りる証拠はない。そうだとすれば、原被告間には原告制作にかかる絵についての賃貸借契約が成立したものと認むべきであり、被告は右約旨に基き、賃借物件である前記四点の絵を善良なる管理者の注意をもつて保管し、賃貸借が終了したときは目的物たる右絵を返還する義務を負うものというべきである。

そして前記四点の絵は右火災当時に焼失したものであることは前記右証拠により明らかであるから、被告の右返還義務は履行不能に帰したものといわなければならない。

ところで右履行不能が被告の責に帰すべからざる事由により生じたことを、被告に於て主張立証しない限り、被告はこれによる原告の損害を賠償しなければならないところ、証人高松隆夫の証言によるも右火災が被告の責に帰すべからざる事由によることを認めることはできず、他に右火災或は火災による前記洋画の焼失が被告の責に帰すべからざるものであつたことを認めるに足りる証拠はない。

そうだとすれば、被告は右洋画の焼失による返還義務の履行不能に基き原告に対し、その履行に代るべき損害の賠償をなすべき義務がある。

そこで次に損害の額について考えてみる。

証人飯田まり子の証言(第一回)並びに弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第五四号証の一乃至五六、第六五号証、第五九号証、第六六号証、第六七号証、証人飯田まき子(第一回)、同伊原通夫、同丸山尚一の各証言を綜合すると、原告の制作にかかる油絵は一号につき五、〇〇〇円の商品価値を有するものと認められ、従つて別紙目録記載の油絵のうち1は三〇万円、2は二〇万円、3及び4はそれぞれ二万円と評価するを相当とする。

原告は更に焼失画につき、これを失つたことにより原告の蒙つた精神的損害の賠償をも請求しているところ、債務者の責に帰すべき事由により財物の返還義務が履行不能となつた場合、債権者がその財物に愛着を持つていたため、その返還不能により精神的苦痛を受けたとしても、原則として債務者はその財物の価格相当の損害賠償をなせば足り、債務者が債権者の財物に対する愛着を知り、又は知り得べかりし場合であつても、慰藉料を支払う義務はないものと謂うべきであるが債権者が特殊の事情により財物に対し特別の愛着を持つていたような場合は、債務者に於てこれを知り又は知りうべかりし場合に限り、債権者に慰藉料請求権を認めるのが相当であろう。

例えば恩人の唯一の遺品と言うように、その品物には交換価値と言う程のものがないか、あるとしても特別の愛着の原因たる事情がその価値に殆んど折込まれていないと言うような財物の客観的価値と主観的価値との間に大きな距たりがあり、而も主観的価値の生ずる所以が客観的価値の形成に殆んど無関係と言うような場合は、公平の観念から慰藉料請求権を認めるのが至当だからである。

然しながら画家が自己の作品に対して有する愛着は、それがその画家の或る時期に於ける記念すべき作品に対するものであつても、右の例に該当すると認めることはちゆうちよされる。何故ならばその愛着と言うのは結局作品に表現された或る時期に於ける自己の才能、換言すればその出来栄えに対するものであるが、その出来栄えが絵画の美術品としての商品価値形成の要素(それ以外の要素も働くことは勿論であるが、)をなしていることは疑いないから、この出来栄えを考慮して形成された絵画の時価相当の損害賠償をなせば足り、その外に慰藉料請求権を認める要はないと考えられるからである。よつて原告の慰藉料の請求はこれを容れることができない。

次に原告は、被告の仮定抗弁は準備手続終結後新たになされたものなので却下さるべきであると争うので、調べると、右抗弁は原告の主張する通り準備手続中調書又はこれに代るべき準備書面に記載されなかつた事項であるが、本件口頭弁論の経過を調べると、昭和三一年一一月一日第一回準備手続期日が開かれて、昭和三二年一〇月三〇日これが終結され、その後第一回の口頭弁論が開かれ、昭和三三年一二月六日の第六回口頭弁論期日に前記抗弁が始めてなされたものであるが、当時他の争点についても、従前被告代理人より申請されていた重要な人証たる被告代表者本人や証人高橋隆夫の取調が未了であつて、その後九回の口頭弁論を重ね昭和三五年三月二二日終結したもので、その間右の被告代表者の本人尋問、証人高橋隆夫の尋問が施行され、更に右抗弁に対する反証として原告代理人より再尋問の申請のあつた証人飯田まき子を取調べたこと及び最重要の反証と謂う原告本人は滞欧中のため取調不能であるが、同人は証拠保全手続に於ける本人尋問終了後第一回準備手続期日前既に欧州に向け出発してしまい現在に至つているもので、被告の該抗弁が適切の時期になされたか否かに関係なく、この点に関する原告本人尋問は不能であつたこと以上の事実が本件記録により認められるので、これに徴すると本抗弁は訴訟を著しく遅延せしめなかつたと謂えるから、その抗弁を主張すること自体は許されるべきである。

そこで右抗弁に立入つて調べると、昭和三〇年八、九月被告の店舗再建後原被告間に賃料を一ヶ月五千円とする洋画の賃貸借がなされたことは当事者間に争いがないが、これとあわせて本件洋画焼失の問題も一切円満に解決された(右の主張は明確ではないが、要するに洋画焼失に因る損害賠償をしないことになつたと言う趣旨と認める。)との点については、これに副う被告代表者本人尋問の結果は証人飯田まき子の証言(第一、二回)及び弁論の全趣旨に照らしたやすく措信しがたく、却つて右証言によると、原告は火災後間もなく被告代表者矢野智と会談したが、その時は矢野が火災のあとの取込みの最中だつたため、焼失した絵の問題を持出す時期ではないと考え、これに触れず、取りあえず店舗を再建した場合に賃料を五千円に増額することを打合せただけに止まつた、而して原告は内心、長期間に亘り五千円の賃料が支払われれば絵画焼失の件は不問にしてもよいと考えていたところ、再建された店は従前より遙かに大きく、これにつれて貸出す絵画の点数も倍以上となつたため、実質的には少しも賃料の増額とならなかつたので、不満を洩らしていたが、渡欧をひかえ、絵画焼失の件を解決すべく弁護士と相談の上、一時に賠償を請求するのは無理と考え、その代り期間を決めて賃料を更に値上げするか、そうでなければ五年なり一〇年なりの長期間の賃貸借とするかは何れにしても、これを明確に書面にすることとし、昭和三〇年末か昭和三一年の初め頃被告に対し契約書の作成を申し出たところ、矢野より原告が考えていたような長期の賃貸借契約を締結することを拒絶されてしまい、従つて被告に対し、損害賠償の請求をしないというような意思表示をするまでに至らなかつたことが推認される。よつて被告のこの点に関する抗弁は採用できない。

以上のとおりであるから被告は原告に対し履行不能による損害の賠償として前記洋画の価額合計五四万円、及び前記賃貸借は商法第五〇三条第二項により商人である被告が、その営業のためにしたものと認められるから右金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三一年九月一四日から完済に至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の請求は右の限度において理由があるものとして認容すべきであるが、その余の請求は失当として棄却することする。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池野仁二 裁判官 室伏壮一郎 和田啓一)

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